私達が応援している東京ヤクルトスワローズ。
ヤクルトはスポンサーさんの名前なのですが、一体なぜ『スワローズ』なのでしょうか。
東京にツバメが多かったから?
いえいえ太平洋側であればいろいろな場所に生息しています。
ヤクルトとつばめの繋がりは思い浮かびませんが、実はヤクルトとつばめにはある関係があるのです。
そこでこの記事ではなぜヤクルトがスワローズであるのかを解説させていただきます。
ヤクルトとつばめの関係とは
ヤクルトがスワローズという名前を使用している理由は、実はヤクルトスワローズの歴史が大きく関係しているのです。
国鉄スワローズ
プロ野球のリーグ拡張方針に伴い、1950年に国鉄の外郭団体が主体となって株式会社国鉄球団が設立されました。
その会社が国鉄スワローズとしてプロ野球に参入したのです。
ヤクルトスワローズの前身となる球団がすでに『スワローズ』をつけていたのですね。
そしてこの『国鉄』というのがつばめと大きく関係しています。
ヤクルトとつばめの関係、というよりは国鉄とつばめの関係なのです。
つばめ=スワロー
当時の国鉄のエース特急ともいえる列車が『つばめ』だったのです。
東海道新幹線が開通する前はそのスピードの速さから技術発展の象徴とされ、つばめに乗ること自体がステータスになるとされていたのです。
つばめは形を変えながら、現在もJR九州の特急列車として運行しています。
その時代を象徴する列車の名前をプロ野球球団につけた、ということですね。
列車『つばめ』の最後尾には豪華な展望車が連結されていた時代もあったようです。
球団の変遷
その後1965年に国鉄は球団の経営権をサンケイ新聞とフジテレビに譲渡。
球団名は国鉄スワローズからサンケイ スワローズに改称されます。
1966年にはフジテレビが鉄腕アトムを放映していたことなどから球団名をサンケイアトムズに改称。
そしてこの時期からヤクルト本社が株式を取得して球団運営に参画してきます。
お!徐々にヤクルトスワローズに近づいてきた!
1968年にサンケイ新聞は業績不振からヤクルト本社へ一部株式を売却。
実質経営権はヤクルト本社がにぎることになりましたが、運営会社は株式会社アトムズ球団、そして球団名はアトムズとしました。
アトムズというチーム名は企業名や地域名がついていないのでとても珍しい球団名でした。2リーグ制移行後唯の球団と言われています。
1970年にはヤクルト本社が単独で経営権を握ることになります。
そして球団名をヤクルトアトムズに改称。
ようやく『ヤクルト』という名前が球団名につきました。
ヤクルトスワローズ誕生へ
ずっと鉄腕アトムをモチーフとしてアトムズを運営していましたが、グッズなどで鉄腕アトムのイラストを多用しすぎたために著作権等を根拠に抗議が殺到。
球団は名称変更を余儀なくされます。
そこで国鉄時代に使用していたスワローズの名称を復活させることになり、ヤクルトスワローズが誕生したのです。
最後に
この記事ではヤクルトとつばめの関係についてお話させていただきました。
元々国鉄が運営していた球団をヤクルトが引き継いでいることが大きく関係していました。
この記事でもっとスワローズを好きになっていただけると嬉しいです。
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