2022年にヤクルトの村上宗隆選手が三冠王に輝きました。
令和初の三冠王と言われていますが、三冠王は一体どのくらいの選手が今までに獲得してきたのでしょうか。
そこで今回は歴代三冠王の紹介とその翌年の成績を比較してみました。
この記事を参考にして不振に苦しむ村上選手を温かい目で応援していきましょう。
歴代三冠王の紹介と翌年の成績を比較
2022年はスワローズファンにとっては忘れられない年となったのかもしれません。
シーズン二連覇もさることながら、やはり特筆するべきは村上宗隆選手です!
令和初の三冠王、最年少での三冠王、日本人打者としてシーズン最多本塁打56本を記録、NPB史上初の五打席連続本塁打を記録……まさに記録尽くしの年でした。
三冠王とは、シーズンを通して打者成績のうち『打率』『打点』『本塁打数』の3部門でトップをとった打者のことを指します。打率のトップは首位打者、打点のトップは打点王、本塁打数のトップは本塁打王ということからの三冠王ですね。

そういえば打率王と言わないのはなんでだろ~……
そんな偉業を達成した村上選手も前年に三冠王を獲ったプレッシャーなのか、WBC優勝で燃え尽きてしまったのか、2023年シーズンは思うような結果が残せずに苦しんでいます。
三冠王を獲った翌年、今までの三冠王はどうだったのか、今回はそちらを調査していきたいと思います。
NPBでの三冠王は8人
NPBでは今までで8人が三冠王を達成しています。
NPBの公式サイトによると、三冠王は8人で12度です。……12度!?
そうなんです。複数回達成している選手がいるのです。

8人のうち3人が複数回達成しているんです。しかもそのうちのひとりはなんと3回も……三冠王を三回……
では三冠王の達成者を見ていきましょう。
達成年 | 選手名 | 所属球団 |
1938年 | 中島 治康 | 巨人 |
1965年 | 野村 克也 | 南海 |
1973年 | 王 貞治 | 巨人 |
1974年 | 王 貞治 | 巨人 |
1982年 | 落合 博満 | ロッテ |
1985年 | 落合 博満 | ロッテ |
1986年 | 落合 博満 | ロッテ |
1984年 | ブーマー | 阪急 |
1985年 | バース | 阪神 |
1986年 | バース | 阪神 |
2004年 | 松中 信彦 | ダイエー |
2022年 | 村上宗隆 | ヤクルト |
複数回達成しているのは王 貞治さんと、落合 博満さん、そしてバースさんです。
そして落合博満さんはなんと三回も達成しています!すごい!!
さらに王さん、落合さん、バースさんは皆さん二年連続で三冠王を獲っています。
これは必ず翌年の成績は下がるとは言えなさそうですね。

村上選手!ファイト~!
では中島 治康さんの成績から見ていきましょう!
中島 治康さんとは
1909年6月28日生まれ、長野県松本市出身のプロ野球選手です。ポジションは外野手。
高校時代まではエースで四番でしたが、早稲田大学に進学後野手に転向しています。
プロ選手時代には初の三冠王など様々なタイトルを獲得。
引退後は巨人、大洋ホエールズで監督も務められました。
中島 治康さんの三冠王時の成績
1938年は春・秋制で1リーグだったということもあって試合数が少なく、本塁打数は少ないですね。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1938年・秋 | 中島 治康 | .361 | 38 | 10 |
当時は9チームで5試合の総当たりでしたので、8×5=40試合ほどです。
現在は140試合ぐらいですので、3.5倍ほど。
本塁打数を3.5倍にすると35本。
そう考えると本塁打王でもおかしくはない数字ですね。
中島 治康さんの翌年の成績
1939年は春秋制ではなく1シーズンです。
試合数も増え、中島 治康さんは96試合に出場しています。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1939 | 中島 治康 | .278 | 58 | 6 |
試合数が倍以上になっているにも関わらず、本塁打数が減っていますね。
打点はそこそこ稼いでいますが、打率も下がってしまいました。
前年三冠王ということで厳しく攻められたのでしょう。

野村克也さんとは
野村克也さんは『ノムさん』の愛称で親しまれた元プロ野球選手です。
1935年6月29日生まれ、京都府出身です。ポジションは捕手。
現役時代にはNPB史上二人目となる三冠王を獲得、パリーグ最多記録となる本塁打王9回と様々な記録を残します。
引退後はヤクルトや阪神、楽天などの監督を歴任しました。
独特な野球観とそのキャラクターから多くの人に愛され、ノムさんが伝えた数々の名言は今も多くの人の心に刻み込まれています。
野村克也さんの三冠王時の成績
ではそんなノムさんの三冠王時の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1965年 | 野村克也 | .320 | 110 | 42 |
すごい成績ですね~。
試合数が現在とほぼ変わらない140試合なので、成績は現在の感覚と同じで大丈夫だと思います。
この成績であれば現在でも三冠王を狙えるかもしれません。
野村克也さんの翌年の成績
次はノムさんの翌年の成績です。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1966年 | 野村克也 | .312 | 97 | 34 |
すべての成績が少しだけ下がっていますが、決して不振にあえいだというわけではなさそうです。
この年はノムさんが本塁打王と打点王は獲得したのですが、首位打者だけは獲得できませんでした。
1966年のパリーグ首位打者は.351という好成績で榎本 喜八さんが獲得しました。
王 貞治さんとは
王貞治さんは東京都墨田区出身の元プロ野球選手です。ポジションは一塁手。
現役時代は『一本足打法』と呼ばれる独特のフォームにより本塁打を量産。
1シーズン本塁打55本は今もNPBでは歴代3位の本数です。
そして通算本塁打王15回、打点王13回はNPB記録として現在も破られていません。

本塁打王15回に並び選手はもう出てこないんじゃないか……
引退後は巨人、ダイエー、ソフトバンク、日本代表の監督を歴任。
世界のホームラン王として知られる王さんは長年野球界をリードしてきました。
王貞治さんの三冠王時の成績
王さんは1973年、1974年と二年連続で三冠王を達成しています。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1973年 | 王貞治 | .355 | 114 | 51 |
1974年 | 王貞治 | .332 | 107 | 49 |
今見てもすごい成績です。
二年連続でこれほどの成績を残すことができた王さんはまさに『世界のホームラン王』ですね。
王さんは翌年にも三冠王を獲っていますので、1974年の翌年である1975年の成績を見てみましょう。
王貞治さんの翌年の成績
二年連続で好成績を残した翌年、どのくらいの成績を残すことができたのでしょうか。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1975年 | 王貞治 | .285 | 96 | 33 |
打率は下がってしまいましたが、打点と本塁打は不振というほどではありません。
むしろ打点では1975年も打点王を獲得しています。
1975年のセリーグ首位打者は.319で山本浩二さん、本塁打王は43本で田淵 幸一さんでした。
落合 博満さんとは
落合博満さんは1953年12月9日生まれ、秋田県出身のプロ野球選手です。
現役時代はなんと三度の三冠王を達成し、その人並外れた打撃技術は現在でも野球関係者の間で語り継がれるほどです。
引退後は中日で監督を務め、新語・流行語大賞にノミネートされた『オレ流勝利』という言葉は、落合監督の言葉でした。
落合監督は中日を立て直したその手腕から様々な書籍を出版しています。
落合博満さんの三冠王時の成績
落合さんは三度三冠王を達成しており、さらにそのうちの二回は二年連続で達成しています。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1982年 | 落合博満 | .325 | 99 | 32 |
1985年 | 落合博満 | .367 | 146 | 52 |
1986年 | 落合博満 | .360 | 116 | 50 |

す、す、、すごすぎる……
1985年の成績はものすごいの一言。
しかもその翌年の1986年もかなりの成績です。
落合さんの辞書にはプレッシャーという言葉がなかったのかもしれません。
落合博満さんの翌年の成績
落合さんの翌年の成績は1982年の翌年と、1985年、1986年の翌年ということで1987年を掲載します。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1983年 | 落合博満 | .332 | 75 | 25 |
本塁打数と打点は下がってしまいましたが、打率は相当高いですね。
実際落合さんは1983年も首位打者を獲得しています。
首位打者を獲得しているので、不振という言葉は使えませんね。
1983年パリーグの本塁打王は40本で門田博光さん、打点王は114点で水谷実雄さんです。
では1985年、1986年と二年連続で三冠王を獲得した翌年の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1987年 | 落合博満 | .331 | 85 | 28 |
この年から落合さんは中日に移籍したため所属はセリーグとなっています。
前回の三冠王の翌年と同様に、打点と本塁打数は落ちていますが打率は高いままですね。
首位打者には一歩及びませんでしたが、十分好打者の成績を残しています。
1987年セリーグの首位打者は.333篠塚利夫さん、正田耕三さんが同時に獲得しています。

ブーマーさんとは
ブーマーさんは1954年4月25日生まれ、アメリカのアラバマ州出身の元プロ野球選手です。ポジションは一塁手。
現役時代はパイレーツやツインズなどのメジャー球団でプレーしたのち、阪急に入団。
来日外国人選手初となる三冠王を達成しました。
力任せではないその柔軟な打撃技術には当時の日本人も驚いたことでしょう。

助っ人外国人というとパワーバッターなイメージですが、ブーマーさんはかなり打撃に柔らかさがあったようです。
ブーマーさんの三冠王時の成績
初の助っ人外国人三冠王となったブーマーさんの成績を見ていきましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1984年 | ブーマー | .355 | 130 | 37 |
すごい成績ですねぇ!130打点は歴代三冠王の中でも高成績です。
さぞかしブーマーさんはチャンスに強い頼れる打者だったのでしょう。
ブーマーさんの翌年の成績
ではその翌年、1985年の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1985年 | ブーマー | .327 | 122 | 34 |
翌年も好成績ですね。
1984年の四球の数は55、翌年の1985年は40なので勝負を避けられたわけでもなさそうです。
三冠王の翌年だからといって調子を落とさずにプレイできたようですね。
1985年は実は両リーグで三冠王が出た類まれな年でした。セリーグは後述するバースさん。パリーグは先述した落合博満さんが三冠王を獲得しています。
バースさんとは
バースさんは1954年3月13日生まれ、アメリカのオクラホマ州出身のプロ野球選手です。ポジションは内野手。
現役時代はメジャー球団のパドレスやレンジャーズでプレイした後、1983年から阪神でプレイしていました。
速球に弱いこともありメジャーでは活躍できませんでしたが、NPBでは二度の三冠王を獲得。
引退後はオクラホマ州の上院議員を務めるなど、精力的に活動しています。
バースさんの三冠王時の成績
バースさんも三冠王に二回輝き、さらにそれは二年連続となりました。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1985年 | バース | .350 | 134 | 54 |
1986年 | バース | .389 | 109 | 47 |
二年ともすごい成績です。
1985年はなんと本塁打54本!そして1986年は打率.389!!!

も、もう少しで4割越えじゃないですか……
54本打てるパワーと4割近く打てる打撃技術。
まさに三冠王の素質十分ですね。
バースさんの翌年の成績
バースさんも二年連続で三冠王に輝いているので、その翌年の1987年の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1987年 | バース | .320 | 79 | 37 |
十分すごい成績ですね!!
三冠王の翌年だからといって皆さんあまり成績が下がりませんね。
1987年の本塁打王は39本でランスさんでしたので、あと2本だけ及ばずでした。

松中信彦さんとは
さてここからついに平成です。
松中信彦さんは平成唯一の三冠王であり、1973年12月26日生まれ、熊本県出身の元プロ野球選手です。ポジションは内野手と外野手。
現役時代は三冠王や、NPB史上初となる3年連続120打点を達成しています。
引退後は野球解説者や様々な球団のコーチとして現在も活躍しています。
松中信彦さんの三冠王時の成績
平成唯一の三冠王として知られる松中さんの成績はどうだったのでしょうか。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
2004年 | 松中信彦 | .358 | 120 | 44 |
松中さんもすごい成績ですね~。
本塁打数はセギノールさんと同数でトップタイという形です。
松中さんは2003年、2004年、2005年の三シーズン連続で120打点越えを記録しています。
松中信彦さんの翌年の成績
三年連続120打点を達成していることはわかっているので、翌年も打点はすごいとは思うのですが、打率や本塁打はどうだったのでしょうか。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
2005年 | 松中信彦 | .315 | 121 | 46 |
本塁打を46本も打っているではないですか!
三冠王は翌年に何も影響は与えていないように感じます。
実際2005年も松中さんは本塁打王、打点王に輝いています。
2005年パリーグの首位打者は.322で和田一浩さんが受賞しています。

松中さんはあと少しで二年連続三冠王でしたね。
村上宗隆選手とは
村上宗隆選手は2000年2月2日生まれ、熊本県出身のプロ野球選手です。ポジションは内野手。
2022年に令和初の三冠王、史上最年少三冠王、NPB史上初となる5打席連続本塁打を記録など華々しい活躍を見せています。
2022年の並外れた活躍からファンは村上選手のことを『村神様』と呼び、2022年新語・流行語大賞で『村神様』が年間大賞を受賞しました。
2022年は所属するヤクルトスワローズがシーズン二連覇を達成したこともあり、村上選手にとっては充実した一年間となったことでしょう。

真偽は不明ですが、有名女子ゴルファーとの熱愛報道もでましたね。
村上宗隆選手の三冠王時の成績
2022年の村上選手はチャンスで打つ、ここぞという場面で打つ、本当に頼れる四番打者でした。
そんな令和初の三冠王の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
2022年 | 村上宗隆 | .318 | 134 | 56 |
本塁打数56本は三冠王の中でトップ、打点134も三冠王の中ではバースさんと2位タイとなる成績です。
後半勢いが衰えてしまいましたが、本当に本塁打は60本に届くのではないかと思っていました。

スワローズファンであっても、早く村上選手にはメジャー挑戦して欲しいと思うほどの活躍でした。
村上宗隆選手の翌年の成績
まだシーズンは終わっていませんが、9月21日現在の成績を見てみましょう。
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
2023年 | 村上宗隆 | .258→? | 80→? | 30→? |
打点も本塁打数も悪くはないのですが、2022年と比べると見劣りしてしまう数字です。
打率は大幅に下がっています。
三冠王の翌年に打率三割を切ってしまったのは中島治康さん、王貞治さん以来となります。
王さんは二年連続三冠王の後の年ですので、少し違うとは思います。
しかしどうにか頑張って1975年の王さんの成績ぐらい打ってくれると嬉しいのですが……
年度 | 選手名 | 打率 | 打点 | 本塁打 |
1975年 | 王貞治 | .285 | 96 | 33 |
2023年 | 村上宗隆 | .258→? | 80→? | 30→? |

少し厳しいかな~……
2023年のセリーグ打者成績は9月21日の時点で首位打者は.333で宮崎選手、打点王は102で牧選手、本塁打王は41本で岡本選手となっています。村上選手がここから食い込むのはかなり難しいと言わざるを得ません。
2023年セリーグの個人タイトルはこちらで紹介しています。
追記:村上選手は打率.256、打点84、本塁打31で2023年シーズンを終えました。
最後に
この記事では歴代三冠王の成績と翌年の成績を比較してみました。
三冠王を獲ったからといって成績が大幅に落ちている選手はあまりいませんでした。
令和の三冠王村上宗隆選手もここから巻き返してほしいですね。
がんばれ!!村神様!!!!
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