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ミスタースワローズの系譜!若松選手以降ヤクルトの背番号1を背負った選手たちを紹介

選手紹介

ヤクルトスワローズに永久欠番はありませんが、古田敦也さんの背番号「27」や宮本慎也さんのつけた背番号「6」などは、ヤクルトで非常に重みのある背番号です。

そのような背番号の中でも、ヤクルトにはひときわ輝く数字があります。

それは背番号「1」!!!!

かつて若松勉さんが付けていた背番号は、現在までミスタースワローズの称号と共に受け継がれています。

今回は若松さん以降に背番号1を背負った選手たちを紹介させていただきます。

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ヤクルトの背番号「1」=ミスタースワローズ

若松勉さんが引退する際に、若松さんのつけていた背番号1をヤクルトの永久欠番にしようと署名まで集めるほどの動きになったようです。

このときに永久欠番にはなりませんでしたが、背番号「1」は準永久欠番としてヤクルトを代表する選手である『ミスタースワローズ』が代々背負っていくことになります。

じんから
じんから

今回は若松さん以降の背番号1を背負った選手を紹介しますが、若松さんの前1967年から1970年に背番号1をつけていた奥柿幸雄さんも『王2世』と呼ばれるほど期待されていた選手でした。奥柿さんはあまりプロで活躍はできませんでしたが、ミスタースワローズの背番号1は王貞治さんからきている番号なのですね。

若松勉:1972年~1989年

若松さんは1970年にドラフト3位で指名され、入団した際の背番号は57でした。

新人である1971年からレギュラーに定着し、規定打席には100打席ほどたりませんでしたが、いきなり打率.303を記録。このときのシーズンオフに背番号が「1」へと変更されました。

その後現役引退である1989年まで背番号1を背負い続け、首位打者を2度輝き、ベストナインには9回選出されました。

引退後は1993年から打撃コーチとしてヤクルトに復帰し、1999年から2005年には一軍監督も務めました。

じんから
じんから

世代的に若松さんは監督としてのイメージしかないのですが、本当にすごい選手だったのですね。4000打席以上を記録した選手の中で生涯通算打率.31918は歴代2位の記録だそうです。この生涯通算打率の記録では、実は青木宣親選手が.315で5位につけています。さすがにここから若松さん越えは厳しいかな~。

池山隆寛:1992年~2000年

現在ヤクルトの二軍監督を務めている池山監督は、現役時代ブンブン丸の愛称で親しまれていた選手です。

ブンブン丸という愛称の通りフルスイングが印象的な選手であり、本塁打を量産する一方で三振も多く、セリーグ最多の三振数であったことが3回あります。その分長打も放っているのでしょうがないと言えばしょうがないですね。

池山監督は1983年ドラフト2位で競合のすえヤクルトに入団した際には背番号36でした。

1985年から一軍に定着。そして1988年からは5年連続で30本塁打越えを記録

1990年には遊撃手として初の3割30本塁打を記録し、そういった活躍から1992年に背番号を1へ変更し、ミスタースワローズとしてチームを牽引しました。

その後怪我や体力の限界から2000年には代打での出場が増え、変わってレギュラーに抜擢された岩村さんに背番号1を譲り、自身は背番号36に戻しました。2002年に引退。

じんから
じんから

池山さんは引退後2006年から楽天の野村監督のもとで2009年まで打撃コーチを務めています。その後ヤクルトと楽天のコーチを行き来しますが、2020年より現在までヤクルトの二軍監督を務めています。

岩村明憲:2001年~2006年

岩村さんは1996年にドラフト2位で指名されヤクルトに入団した選手で、初めは背番号48をつけていました。

1998年から一軍の試合に出場し、2000年には池山さんに代わりレギュラーへ抜擢され、打率.278、18本塁打、66打点を記録し、三塁手としてゴールデングラブ賞も受賞しました。

そして2001年シーズンから背番号1を池山さんから譲り受け、メジャーへ挑戦する2007年までヤクルトを牽引しました。

2004年には年間173三振とリーグワーストの成績を残してしまいますが、当時のチーム歴代タイ記録となる44本塁打を放ちヤクルトの顔としてプレーし続けました。

じんから
じんから

その後レイズやパイレーツ、アスレチックスといったメジャー球団を渡り歩き、2010年には楽天でNPBに復帰。そして2012年には背番号48でヤクルトに復帰しますが、2014年に戦力外通告。

2015年からは福島ホープスの選手兼監督に就任し、2017年に現役を引退。現在も監督として、改名した福島レッドホープスを率いています。

青木宣親:2010~2011年

青木選手は2003年にドラフト4位でヤクルトから指名され、入団した際の背番号は23でした。

2004年には打率.372でイースタンリーグ首位打者を獲得、そして2005年から一軍に定着後、いきなり200本安打を達成し打率.344で首位打者、最多安打、新人王を獲得します。

その後2006年からメジャーへ挑戦するまでに首位打者を2回、盗塁王を1回、最高出塁率を2回、最多安打のタイトルを1回獲得しています。

岩村選手の退団後、球団から背番号1への変更の打診はあったようですが、青木選手は断り続けていました。しかし2019年の年末に若松さんに会った際に、若松さんのように人望の厚い選手になりたいという思いから、2010年から背番号1を付けることになりました。

2012年からブルワーズやロイヤルズといったメジャー球団を渡り歩き、2018年から背番号23でヤクルトへ復帰。2023年現在もベテランの立場でチームを牽引しています。

じんから
じんから

現在41歳ですが、青木選手にはまだまだチームにいて欲しいですね。引退したら打撃コーチに就任したりするのかな?球団が離してはいけない選手のひとりですね。

ミスタースワローズを辞退した男:大引啓次

2014年オフにFA宣言を行い日本ハムからヤクルトに移籍した大引選手は、ミスタースワローズにはならなかったものの、入団する際に球団から背番号1も選択肢のひとつとして与えられていたと言います。

「しっかりと若い世代の選手が引き継いで欲しい」との思いから大引選手は断ったようですが、それほど球団から特別な選手と考えられていたということですね。

山田哲人:2016年~∞

山田選手は言わずと知れた現在のミスタースワローズです。

3割、30本、30盗塁を表すトリプルスリーNPBでは唯一複数回達成しており、ミスタースワローズだけでなくミスタートリプルスリーとも呼ばれています。

山田選手は2010年ドラフト1位でヤクルトから指名され、入団した際の背番号は23でした。

丁度青木選手が背番号1になったときに空いた背番号23を、山田選手がつけたということですね。

山田選手は2015年に初めてトリプルスリーを達成し、空いていた背番号1へ2016年から変更することが発表されました。

その後2016年、2018年にもトリプルスリーを達成。まさにミスタースワローズ。近年のヤクルトを代表する選手です。

じんから
じんから

山田選手はかねてよりゴールデングラブ賞が欲しいと話していますが、今年も受賞できませんでした。広島の二塁手に菊池選手がいるので厳しいのですが、今年は中野拓夢選手が受賞しています。それであれば二連覇したときにとりたかったですね~。哲人!来季はバッティング頼むよ!

今季のゴールデングラブ賞に関してはこちら参考にしてください。

最後に

今回はミスタースワローズの証である背番号「1」を背負った選手たちを紹介させていただきました。

皆さんは背番号1で誰をまず最初に思い浮かべますか?

王貞治さん?それともゴールキーパー??ノンノン。

やっぱり私は山田哲人選手です!!

寂しいですが、山田選手の後は誰が引き継ぎますかね~。それもまた楽しみです。

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