10月3日に巨人を長らく率いてきた原辰徳監督が退任することが判明しました。
今季が3年契約の2年目であったことから来季も続投かと思われましたが、今季の成績の責任を取る形での退任ということになりました。
この記事では原監督のここまでの功績を追っていきます。
巨人原辰徳監督
原監督は球団史上最長となる監督通算17年を誇る名将です。
しかし今季は4位が決定。3年連続で優勝を逃し、2年連続クライマックスシリーズの出場を逃してしまいました。
この2年連続Bクラス(4位以下)というのは巨人の同一監督では初めてのことのようで、山口オーナーも原監督を据えていて我慢の限界を越えたのかもしれませんね。
同一監督で2年連続Bクラスが初めてって、巨人は強豪です!!なんだか贅沢!
今季原巨人は一度もペナントレースで首位に立つことはできず、原監督は有終の美を飾ることができずの退任となりました。
今季は浅野選手や秋広選手、中山選手や門脇選手など若手を多く起用しており、若手の育成という面では一定の評価を得ていました。
現役時代の原辰徳監督
東海大学出身の原監督は、長嶋茂雄の再来と言われるほど大きな期待を背負い巨人へと入団しました。
長嶋前監督は永久欠番になっている自身の背番号『3』をつけさせたいと言っていたほど惚れ込んでいたようです。
結局背番号は『8』となり、その背番号にちなんで原監督の応援歌は『エイトマン』の主題歌になりました。
1981年の開幕戦から二塁手として先発出場を果たし、三塁手へのコンバートなどを経て規定打席に到達。
打率.268、22本塁打、67打点の成績を残し新人王を獲得しました。
1983年シーズンには球団史上4人目となる3割30本塁打100打点を達成し、名実ともに巨人軍の顔になっていきます。
しかし1986年にファールを打った際に左有鈎骨を骨折してしまい、この怪我はその後の野球人生に大きな影響を与えてしまうのです。
事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました。
原辰徳監督の言葉より引用
1987年、1988年と2年連続3割30本を達成するなど十分な成績を残しますが、度重なる怪我に悩まされ1995年に引退しました。
通算17年間巨人を率いた名将
現役引退後は野球評論家を経て巨人のコーチに就任し、2002年シーズンより長嶋茂雄監督の後任として監督へ就任。
監督就任初年度で日本一になりましたが、翌年は3位に終わり退任。(第一次原政権)
特別顧問として巨人に関わり続けますが、後任である堀内監督の退任に伴い原監督は2年ぶりに2006年シーズンから監督に復帰します。(第二次原政権)
2006年は4位、2007年はリーグ優勝を果たしますがクライマックスシリーズで中日に敗退、2008年はシーズン終盤怒涛の追い上げで逆転優勝。
2009年のWBCでは監督を務め、日本を二連覇へと導いています。
WBC優勝の流れのまま2009年シーズンも優勝しリーグ3連覇を達成。2010年、2011年とリーグ3位に終わりますが、2012~14年で再度リーグ3連覇を達成しました。
2015年にリーグ2位でシーズンを終えると退任し、後任は高橋由伸監督となりました。球団特別顧問となりますが、高橋監督退任後2019年シーズンから再度監督に就任。(第三次原政権)
2019年、2020年とリーグ優勝を果たし、自信の手腕を遺憾なく発揮しましますが、2021年は3位、2022年は4位、そして今季は4位となり退任。
2019年には監督通算1000勝を達成しています。これは史上13人目の快挙です。
巨人を17年率いて9度のリーグ優勝を果たした原監督ですが、今回は契約途中での退任となりました。
後任は阿部慎之助コーチが昇格
3度にわたる原監督政権を経て、後任監督は現在一軍ヘッド兼バッテリーコーチである阿部慎之助コー地が昇格することが決まりました。
現役時代は強肩・強打の捕手として活躍した阿部コーチは8年にわたり巨人の主将を務めた人物ですので、監督になってもその強い求心力を武器にチームを立て直していくことでしょう。
最後に
原監督の契約期間途中での退任は本当にびっくりしました。
しかし巨人は常に優勝争いをしていないと許されないようなイメージの球団ですので、2年連続Bクラスというのはオーナーの心証が悪かったのかもしれませんね。
来季は阿部新監督が率いる巨人にも注目ですね!
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