2023年8月1日の巨人戦でプロ初勝利を挙げた山野太一選手のヒーローインタビューを皆さんは覚えているでしょうか。
私はあの日からすっかり山野選手のファンになってしまいました🥰
号泣ヒーローインタビューにはもらい泣きしてしまいました😭同期メンバーとの仲の良さも印象的でしたね✨
今回はこれからの活躍が益々期待される山野太一投手の魅力に迫りたいと思います。
山野太一選手とは
山野選手は1999年3月24日生まれ、山口県山口市出身のプロ野球選手です。ポジションは投手。左投げ左打ち。
小学生から野球を始め、中学では高川学園リトルシニアでプレー。
高川学園高等部に進学後、三年生の最後の夏にはエースとして同校を初の甲子園出場へと導きました。
甲子園初戦では履正社に敗れてしまいましたが、そのときに履正社エース寺島成輝(元ヤクルト)と対戦したことからプロの世界を意識するようになったようです。
東北福祉大に進学後、1年生から好成績を残し、仙台六大学リーグで新人賞を受賞。
身長は172cmと小柄ながら、長い手足を生かした柔軟なフォームから多彩な変化球を操り、大学時代リーグ通算22勝0敗という圧倒的な成績を残しました。
大学時代は怪我にも悩まされましたが、2020年ドラフト会議でヤクルトスワローズから2位指名を受けました。
大学の同級生である元山飛優選手もヤクルトから4位指名を受け入団しています。
山野選手の少年時代
野球をやっていた父親に憧れ野球を始めた山野選手。
実は幼いころからアトピーを患っていました。
小学生になると加えて喘息発作が出るようになってしまったそうです。
夜中に激しい発作が出てしまい泣きながら苦しむ山野選手をご両親が車に乗せて救急病院に駆け込むようなことがあったり、ひどい時には入院することも🥲
野球の練習を続けるのも容易ではなかったのではないでしょうか。
中学に上がるとアトピーと喘息も治まり立派な体躯になった山野選手ですが、ピッチャーとしては欠かせない強い精神力はこの時代に育まれたのかもしれませんね。
同じヤクルトの田口投手も幼少期からアトピーに悩まされ、夏場に大量の汗をかく練習が大変だったそうです。そういった困難を乗り越えてプロの世界で活躍しているなんて、素晴らしいですね。
山野選手のお父さんである正明さん地元への貢献意欲が強くあるようです。自身の息子である山野選手がプロで活躍すれば山口市も活気づき、これ以上ない“地元貢献”になるのではないでしょうか。
プロ1年目の春季キャンプは一軍スタート。
そして2021年の4月1日、プロ初登板を果たしますが1回と1/3を投げ7失点で降板。
悔しいデビュー戦となりました。
その後上半身のコンディション不良により、一軍での登板はありませんでした。
背番号の変遷
21→013→26
山野選手は、2020年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けて東北福祉大から入団。
入団時の背番号は21で、山野選手のほうから球団にお願いしてもらった番号のようです。
「左の21番といえば、ソフトバンクの和田毅さん、DeNAの今永昇太さんだったり、左のエースピッチャーがつけている番号だと思っていたので、僕もつけたいとお願いしたんです」
山野選手のコメントより
21番の背番号は個人的に非常に思い入れのある番号であり、自信の21番がついたユニフォームをお世話になった方にプレゼントしていたほどです。
しかし21番をつけていた時代に怪我をしてしまい、支配下から育成契約へ。
背番号は013に変更を余儀なくされてしまいます。
支配下登録への復帰
高津監督は山野選手の支配下復帰を予定していませんでしたが、本人からの猛アピールもあり支配下復帰を決心。
2023年7月14日支配下登録、新しい背番号は26になりました。
現在背番号21は2022年ドラフト1位の吉村選手がつけています。
山野選手は26番もとても良い番号で、自分がもらえて光栄だと話しています。
部屋には21と013のユニフォームを飾る
山野選手の部屋には21番と013番のユニフォームが飾ってあるようです。
21番はプロ入りしたときの憧れの番号なのでわかるのですが、育成契約時代の013のユニフォームも飾っているのです。
それは山野選手にとって013番は、嫌な思い出もあるが大切な番号であり、育成契約時代の初心と苦労、努力を忘れたくないという想いが込められているからです。
プロ初勝利
2023年7月14日に支配下登録、そして8月1日に852日ぶりに1軍のマウンドへと上がりました。
先発投手として7回無失点、被安打4に抑え、プロ入り初勝利をあげました。
同期との絆
山野選手久しぶりの一軍登板となった8月1日は、2020年ドラフト組が5人もベンチ入りしていました。
<2020年ドラフト組>
1位 木澤投手、2位 山野投手、3位 内山壮真選手、4位 元山選手、5位 並木選手、6位 嘉手苅投手
見事勝利投手となった山野選手は、苦労した育成時代を想ったのかヒーローインタビューで涙。
山野選手の苦悩を知る元山選手と並木選手はヒーローインタビューが終わるまでベンチで見守っていました。
ヒーローインタビューを見ずに引き上げる選手が多い中、ふたりはヒーローインタビューが終わるまで待っていました。
この日に初ヒットを打った山野選手は打撃練習もかなり熱心に取り組んで試合に臨んでいた、と元山選手が話していました。
仲良しは奥川恭伸投手
育成契約下で苦労している際、山野選手は奥川選手からの励ましが力になったそうです。
それもあり二人は大の仲良し。
プロ入りは奥川選手の方が1年早いのですが、年齢は山野選手の方が3つ上です。
山野選手は仲良しの奥川選手のいたずら好きの一面を暴露しています。
「ボディーソープを凍らされたり、ごみを冷凍庫に入れられたりした」と苦笑いしつつ、「一緒にディズニーランドに行きたいと話しています。
僕は動物園に行きたいけど(奥川は)嫌みたい。キリンが見たいです。
山野選手のコメントより
奥川選手も早く怪我から復帰できるといいですね。
年下のチームメイトからも慕われている山野選手は育成時代の苦労を忘れず、一軍への定着を狙います。
最後に
この記事では支配から育成契約になってしまったあと、再度支配下登録を勝ち取った山野太一選手の魅力についてお話させていただきました。
あのインタビューでの涙には本当に心を打たれてしまいました。
これからも強く応援していきたいと思える選手の一人です。
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